ドラマ『階のスターエレメンツ』から考える、アイマスが多分永遠にやめないウソについて

どうもこんにちは。ぬこもやしです。
いよいよ来週末にはラブライブサンシャイン5thですね。まあ、現地にはいかんのですけど。

さて今回は本日5月29日発売のコレの話です。



アイドルマスター ミリオンライブ!シアターデイズ』
THE IDOLM@STER MILLION THE@TER GENERATION 17 STAR ELEMENTS
です。
アイドルマスターミリオンライブ!シアターデイズから発売されているCDシリーズ「THE IDOLM@STER MILLION THE@TER GENERATION(以下MTG)」の新盤です。
もうすでに何回かこのシリーズのについての話をした記憶はありますが、聞いた感想としてものすごく特別な作品になっていると思ったところがあったので、まとめていきます。
当たり前ですが

ネタバレをします

まだ聞いてなくてどんな話か他人からは聞きたくないという方は聞いてから来てください。























んじゃ、行きます。

・あらすじとか
これがですね、これまで中世の吸血鬼だの近未来ディストピアだのタイムスリップだのを平気でやってきた同シリーズからは想像できないくらい普通のお話でして、たまたま見たアイドルのステージに憧れて、新人アイドルのオーディションに参加することを決めた女の子が主人公とかいうやつなんですよ。
それがかえって、これまでぶっ飛んだ劇中劇をたくさんやってきたこのシリーズの中で、伊吹翼、最上静香、春日未来の3人(いわゆるミリオンライブにおける信号機)が参加したMTGの異質さを浮き彫りにさせるわけですが。

MTGシリーズはあくまで「劇中劇」であり、この作品の中で描かれたキャラクターの人間性や過去は、決してアイマスにおける正史にはならないというエクスキューズが常について回っていました。その一方で、明らかにミリオンライブ内におけるそのキャラクターが持つ背景を意識した描写も多く含まれており、MTGシリーズからどの情報をどんな風に解釈すればいいのかと悩んだ人もいたんじゃないかなと思います。
残念がら今回それに関する答えを提供できることはないと思いますが、少しでも考察の一助になればと言う感じですね。答えを知りたければまあ、偉い人に直接話できるくらいになってください…
個人的には、いいとこ取りして自分の好きなように解釈するのがアイマスに長く付き合っていくコツだとは思っています。あっ、それを他人に押し付けちゃ駄目っすよ?

・エピソードティアラという言葉に含まれるメタファー
まずですね、そもそもアイマス「ティアラ」って文字を出してなんの意味もありませんでしたなんてそんなこと、誰も信じませんよ。
私はアイマスにはいったのはそんなに早い方ではなく、SPやアイマス2くらいからなので「ティアラ」といわれると「お姫さまティアラ」が思い浮かびます。これはゲーム本編開始後すぐに入手できるアクセサリーなんです。


一人目のファンであるプロデューサーから、担当アイドルに送られる最初のプレゼント。これが「お姫さまティアラ」です。
「お姫さまティアラ」についての「エピソード」と言われるとどうですか?この情報だけで考えると、スターエレメンツの物語は最初のプレゼントをもらう、つまりプロデューサーに出会うまでのアイマスアイドルたちの物語である、と考えることができます。意味深ですね。

ちなみに、この話はここで終わりません。
これは私が思いついたやつではないのですが、実はアイマスの世界にはもう一つの「ティアラ」があります。それが「お姫様ティアラ」です。


これはアイドルマスターの正当な最新作に当たる「ステラステージ」で登場するアイテムです。先程とはうって変わって、これを入手できるのはプレイ終盤も終盤。最難関(ぶっちゃけストーリークリアには全く必要ない、やりこみ要素のレベル)とも言えるステージをクリアする頃にようやく入手できるという、トップアイドルに限りなく近い存在であることの証明とも言えるアイテムとして位置づけられています。(ちなみにステラの前作に当たるプラチナステージでは同名アイテムをプレイ最序盤に入手できます)

はい、ということでどうですかね。みなさんは「エピソードティアラ」という中にある「ティアラ」という文字に対してどんな意図があると感じたでしょうか。
どちらかでもいいと思います。片方でもそれは間違いではありません。ですが、ここまで大事な「ティアラ」という文字になんの意図もない、とうことがありえないのはほとんど議論の余地がないでしょう。


アイマスにおける悪意
この作品が衝撃的だった要素として、ミリオン6th神戸公演での朗読劇を上げる人は多いと思います。
矢吹可奈演じる神崎水桜が他のキャラクターの靴を隠そうとしたりウソのオーディション会場を教えたりという、むき出しの悪意をぶつけてくるストーリーには、多くの方が息を呑んだことだと思います。
さて、ここで少し気になったのが、アイマスという作品における悪意というものの取扱いです。
ちなみに、フィクションにおいては対象年齢が低ければ低いほど、悪意というのは最終的に報われない敵キャラの専売特許となっていきます。子供がそれを見て、ズルしたり誰かを蹴落としてでも自分の目的を達成することを是としたらまずいですからね。当たり前ですね。
アイマスではどうかというと、例えば黒井社長のいたずらがこれに類する感情として登場します。765プロに様々な嫌がらせをして、最終的には警察のお世話になったり、海に投げ飛ばされたり、育てたアイドルに見限られたり、まあ何らかの罰を受けるのが大体のお決まりになっています。
この作品ではどうかというと、作品の中では水桜はこれと言った罰は別に受けません。単純に尺の都合でしょうけど。ただ、田中琴葉演じる草薙星蘭から何回も詰め寄られたり、春日未来演じる天羽光駆に正々堂々戦わんかいと怒られたあとで、いたずらをやめて実力を正面からぶつけることを決めます。その結果、パフォーマンスも次のステージに進んだと感じさせる描写はありました。要するに、水桜がいたずらをやめなければ最終的なオチに当たる、3人がユニットとして選ばれるという結果もなかったのかなと考えることはできます。
そういう意味では、アイマスではやはり「悪意」をもとにした行動を取るキャラクターは、どこかで破綻する。それが嫌なら、正々堂々実力勝負を選ぶばなければならない。という理念はあるのかもしれません


・トップアイドルは一人という命題とそれにまつわるウソ
長くなりましたが、これですね。
あっ、今更ですがここに書かれていることは個人の感想です。
アイドルマスターという作品は、シリーズを通じて一貫してある嘘をつき続けています。
それが「トップに立つものは唯一人」というものです。正確には、嘘をつくというよりは答えをだすことを避け続けているというべきでしょうか。
トップアイドルという称号は一人分しかないにもかかわらず、多くのアイドルが作品内に登場し、その誰もが主人公として誰かに選ばれる力があります。その結果、たくさんのアイドルが時には仲間として肩を組み、時にはライバルとしてぶつかりあいます。その物語に見ている我々は様々な感情を想起するわけですが…ただちょっと待ってください。

「結局、この作品の中で誰が勝つの…?」

という問いに対して、アイドルマスターという作品は多分半永久的に答えをくれません。なぜかというと、それに答えてしまうとそのアイドル以外を選んだ人はこの作品から選ばれなかったという結論になり、去ってしまうからです。少なくとも、アイマスというコンテンツが終わるその日までこの答えを我々が得ることはないでしょう。それどころか、そもそもトップアイドルなるものはほんとうに存在するか?と聞きたくなるくらいです。
しかし、個人的にはそれでいいと思っています。理由は簡単で、そんなん教えられても面白くないし、なぜわざわざこれまで自分が積み上げてきた感情を無為にしかねない情報を得る必要があるのか、というところです。

ただ、このドラマではそれに対して一定の答えを出してきます。
最終的にこの作品内で展開されたオーディションでは一位が草薙星蘭にきまり、更にそのはるか先にいるトップアイドルという存在が足音だけですが登場します。
アイマスという作品のメインストリームでは、おそらく永遠に決まらないであろう「トップアイドル」という存在が顔をだすのが今回のドラマ「階のスターエレメンツ」なわけです。「トップアイドル」が確かに存在し、主人公だろうとなんだろうと、普通に負けるしなんならトップアイドルにはなれないかもしれないわけです。
ただし、じゃあこれを持ってトップアイドルというものへの答えとするかというと、そうはなりません。あくまでこの作品は「劇中劇」であり「アイマスの正史」にはならないというのは前述のとおりです。
しかし、同じく先程書いたとおり、MTGシリーズには明らかに正史に当たるキャラの造形などを多く盛り込んだ要素が散見できます。

といったところで、ありがたいことにじっくり読んでくれた方はそろそろ「つまりどういうことなんだよ」と言いたくなってきている頃かと思います。
実のところ、私が思うにこのMTGシリーズはこうやっていくつもの矛盾しているようでその実、見当違いとも言えない情報をいくつも提示することで、様々な考え方や作品への付き合い方を提示するシリーズだったのではないかと思っています。
トップアイドルに関する議論にも、今回のドラマ出て維持された情報をもとに「別に決めようと思えば決められるぜ?」というメッセージだと受け取ってもいいんじゃないかと思います。
だからこそ、先程書いたような悪意やライバルという要素が、私達仲間だもんげというアイマスのお決まりジョークで一律に常に除去していい、本気に受け取らなくていい要素とは言い切れないよ。と、主張できるわけです。そりゃ、そういうやつの一人や二人くらいいたほうが作品として面白いですからね。


例によってまだ言いたいことはあるような気もするんですが、疲れてきたので終わりにします。
長々とお付き合いいただきありがとうございます。

最初に書いたとおり、この作品はアイドルマスターミリオンライブというものについて考えるときに、非常に重要な資料になると思います。ぜひじっくりと聞いてみてください。

では、かいさん!