アイマス史上、最もアイマスらしくないユニット「Straylight」

どうも。ぬこもやしです。

皆さんやってますか?あれです、アイドルマスターシャイニーカラーズです。
先日はなんかのブログを公開させてもらいましたが、今日は8日の実装で最後の一人が投入された新ユニット「Straylight(ストレイライト)」についてです。



私も含めて、オタクたちがこぞってボコボコにネタばらしを垂れ流していますが、一応今回はこの3人の話を遠慮なく書くので、自分で触るまで見たくないという方は今のうちにブラウザバックどうぞ。

あっ、あと
当記事の内容はあくまで個人の感想です。

















んじゃ、はじめます。

・前提として、フィクションにおける感動とアイマスらしさ
本題に入る前に一つ共有したい前提があります。
突然ですが質問です。みなさんは、フィクションの物語を見ているときに、何に感動しますか?
いろいろ答えはあると思いますが、今回はその中の一つに当たるであろう「克服」という要素について取り上げます。
気弱なキャラクターが、仲間のピンチのために意を決して危険な場所に飛び込んだり、キャラクターが昔から持つコンプレックスと勇気を出して向き合ったり…様々な「克服」がフィクションには溢れています。
アイドルマスターもその例に漏れず、如月千早の家庭環境からくる陰気な性格や、萩原雪歩の男性恐怖症など、放っておくことはできない問題とどう向き合い、どう解決するかというストーリーやその結末に涙した人も多いのではないでしょうか。
アイマスらしさ」というものの本質的な定義は、本気で話し始めると村八分不可避レベルで燃える可能性があるやつなので一旦横においておきますが、その中の一つにこの「克服」というものが入ることはほぼ間違いないと言えます。更にその先を見据えると、トップアイドルという唯一無二の存在になるために、こういったそのキャラクターが抱える「本質的な問題」の「克服」は、アイマスのキャラクターにとって不可欠なものと言えるでしょう。
ストレイライトの3人も、様々な問題を抱えていて、それをどう解決するのか、というところなのですが…

・「身に纏うは迷光」の意味
恥ずかしながら、迷光という言葉を初めて聞いたのでちょっと調べたのですが、カメラや光学機器の用語で、機器内部にどうしても発生してしまう不必要な光を意味するそうです。
ストレイライトの3人は、アイドルとして大成するには、初見でわかるレベルの問題を抱えています。芹沢あさひの過集中、黛冬優子の二面性、和泉愛依のあがり症。さて、ここに対して彼女たちとプロデューサーが選択したのは何かと言うと、これらの「克服」ではなく、それはそのままにしておいた上での「持ち味だけの強化」でした。
あさひに対しては過剰な集中力を活かすにはどうすればいいかと考え抜き、冬優子は自己を守るためにかぶっていた仮面で成功すればいいと道を提示し、愛依に対してはあがり症を逆手に取ったクール路線で成功を掴み取りました。
これは、決して王道の成功ではありません。あくまで、限られた場面でのみ有効な「ゲリラ的局地戦」の戦法であり、弱者の兵法で最初の壁を乗り越えたに過ぎないなと感じました。
ここに来て、ストレイライトのコンセプトにある迷光の意味がわかってような気がします。wing優勝までのストーリーの中で彼女たちが選んだのは、本質的に彼女たちに必要なものではなく、あくまで「wing優勝」という土俵でのみ使える、言ってしまえば究極的なところで、彼女たちにとって本当の意味での成功には不必要な力を選んでいるのです。
特にこれが顕著なのは愛依であり、彼女はwing優勝後のコミュでこのような言葉を残します。





彼女自身、アイドルのためのクールキャラは本当の自分ではないとわかっているわけです。
少し怖い想像をすると、これから彼女はアイドルになるためにかぶった仮面のみが称賛され、本当の自分の価値とは…?思い悩むかもしれません。
かつて、本当の自分をさらけ出すまでにゲームのストーリー一本をまるまる使ったアイマスアイドルがいますが、愛依のこの先の道には、その子に似た苦悩が待っているかもしれません。

・Straylightのアイマスらしくなさとアイマスらしさ
さて、ここまで話をまとめると、ストレイライトはある意味でアイマスらしくないストーリーを最初に与えられたアイドルのように感じました。
キャラクターが抱える本質的な課題をどう解決し、どうトップアイドルになるか、というストーリーが王道のアイマスだと言うならば、彼女たちの物語はその真逆。最もアイマスらしくない、アイマスにおける詭道を歩んでいることになります。なにせ、3人が抱える本質的課題は一旦問題から外し、wing優勝というステージでのみ輝くには…というストーリーになっているのですから。唯一無二のトップアイドルになるという目標への道のりからすると、むしろ逆走までしているのでは?と思うほどです。

ですが、そこにこのストレイライトというユニットが、今この瞬間に誕生した由縁があるのではと思います。
「克服」するヒーローやストーリーはそれこそ私が子供の頃からフィクションの世界に溢れかえっていました。しかし、現代社会においてこの「克服」の理想はほとんど夢物語になりつつあります。最近の流行り、というほどではないかもしれませんが、ここのところもてはやされる物語は、「克服」のために大きな代償やリスクを払うのではなく、最初からレベル100の主人公が無双する、いわゆるなろう系が幅を利かせ始めています、要するに、「克服」するヒーローに感情移入する時代から徐々に変わりつつあるのかもしれません。これをもって、若者が軟弱になったと嘆く人もいますが、私はそう言う話ではないのでは?と思っています。
先程私は、ストレイライトをして弱者の兵法と言いましたが、この弱者の兵法は現代社会では当たり前の戦法です。すでに市場を独占している大きな敵にいきなり勝つことが難しい中で、自分たちの土俵でなら勝てると証明し続けることで、やがて大きな敵と肩を並べる。これが現代社会における新参者の戦法と言われています。
すでにある程度の域まで成熟しきったこの国の中で、今から社会に飛び立つ若者がどう生きるか。最初のうちはきっとこの弱者の兵法が役に立つはず。そんな思いが込められているのかなとも思いました。
ストレイライトは、すでに10年を超えるアイマスの歴史においては新参者もいいところであり、明らかな「弱者」です。しかし、そんな彼女たちの登場や物語は明らかに多くの歴戦のPたちに衝撃を与えています。これは彼女たちの「弱者の兵法」がドハマリしたからと言えるのではないでしょうか。

また、今の時点で彼女たちの本質的課題に触れなかったのは、今考えるとある程度わざとだったのかなとも感じています。
アイドルマスターという趣味において、キャラクターたちの行く末を考えるのは、多くの人がやる楽しみ方の一つです。そうなったときに、彼女たちがスタートの第一歩で身に纏った迷光と、どう別れを告げて、どうやって本物の自分をアイドルにしていくのか。ここはきっと、語られることはないでしょう(これ語ったら終わりだからですね…)。ですが、アイマスらしくないスタートを切った彼女たちだからこそ作れるアイマスらしさが、彼女たちの中に秘められてるようにも感じました。多くのアイドルが王道を歩む中で、不必要な輝きを纏ってしまった、詭道を歩むストレイライトのこれからの物語が楽しみでなりません。


なんか抜けがあるような気もしますが、こんなところですかね…

では、解散!