First Love Againが私たちに何を見せてくれるのか、ちょっと考えてみました
どうもこんにちは。ぬこもやしです。
聴いていただくとわかる通り、しっとりとしたバラードで、キズナエピソードで語られるゲーム部の作品に登場する「記憶が一日しか持たない幼馴染」の気持ちを謳った曲になっています。
その幼馴染が、主人公に対して語る「自身の境遇へのポジティブな捉え方」や「たくさんの初めてと久しぶりを積み重ねることで幸せが増えていくみたい」という、人生何週くらいすればこんな考え方ができるんだというレベルの人生観をこれでもかと表現してくるのが最高に泣ける曲なのですが…
このあたりからちょっと、最初にあった「出てきたものを素直に捉える」というスタンスから「この曲を天王寺璃奈が歌うのはなぜか」というところに視点を変えていきたいと思います。たとえどれほど4thアルバム楽曲が不可解でも、何の意味もなく曲を作ったという捉え方はしたくないので、お付き合いください。
まず前提として、天王寺璃奈のキズナエピソードでは、ゲーム部のシナリオを再現するシーンが何度か登場します。
こんな感じですね。
天王寺璃奈の立ち絵を流用した「主人公」と、天王寺璃奈を黒塗りにした「幼馴染」という絵面です。ここからもわかる通り、あくまで天王寺璃奈自身も、シナリオを読み込んでいく際に自己を投影しているのはシナリオ上の「主人公」に対してというのがわかります。当然といえば当然ですね。
さて、先ほどこのFirst Love Againは「幼馴染」の気持ちを謳った曲だという話をしました。それを作るきっかけとなったのは「幼馴染」の生き方に天王寺璃奈が心を動かされたという話もしました。
また、キズナエピソード中では
このような導入から、なぜ天王寺璃奈がこの幼馴染に心を動かされたのかという話が最後に改めて語られます。
ここでちょっと思い出してもらいたいのですが、この天王寺璃奈というキャラクターは、自身の生い立ちが原因で、他人に気持ちを伝えるのが少し苦手な子でした。それをスクスタのメインストーリーやキズナエピソードの中で、スクールアイドル同好会のメンバーとともに克服することで、他人と心を通わせることができるようになった、というのが最大のカラクリの一つであるキャラクターです。
そして、繰り返しにはなりますが、このFirst Love Againは、これまで自分の気持ちを表現することにすら苦労していた天王寺璃奈が、シナリオに登場する「幼馴染」の気持ちを謳った曲です。
だいぶ回りくどくなりましたが、ということはつまりこのFirst Love Againという曲は、最初は他人の気持ちがどうのどころか、自分の気持ちすら満足に表現できなかった天王寺璃奈が
「(シナリオ上のキャラクターに対してとはいえ)他人の気持ちに寄り添い、理解して敬い、他人の気持ちを表現できるまでになった」
という成長を実感することができる曲になっているわけです。
そんな天王寺璃奈の変化を、虹ヶ咲キャストきっての仕事人である田中ちえ美さんが見せてくれるのかも…? と思うと、ちょっと楽しみになってきた気がします。
最初は何もわからんといっていた4thアルバムと4thライブですが、ここまで分解するとどんなことに着目すればいいのか少しだけ見えてきたような気がしませんか…?
え、しない…? いやその、皆さんそれぞれ自分の推しに対してこんな感じに「なぜそのキャラがその曲を歌うのか」という必然性を考えると、当然それにつながるポイントが見えてくると思うんですけど…
え、わからない…? Diabolic mulierのことがなにもわからない…?
まあ、そういうこともありますよ…
という感じで、私はたまたま自分なりの答えを何となくこじつけましたが、これが正解かどうかはわかりませんし、実際の4thライブで何が見られるかはふたを開けるまで分かりません。
ただ、ラブライブシリーズの4thライブといえば、過去2作品どちらもその後の動きの転機となったイベントです。備えましょう。
4thライブはマジでなにを見せてくれるのか
さて、最後にちょっとだけ、知り合いと話していた中で「捨てきれない」と思った話をして終わりましょう。
先ほど貼った公式動画ですが、当然きっちり全キャラ分用意されています。
うーん、えまちゃん、すき。
という感じで一応、
4thライブの予習にこちらをどうぞ!!
というテンションで公式さんが用意してくれたものなのですが…
ぶっちゃけこれ見ても、さっきまでの天王寺のような話ははっきり言って何にも見えてこないレベルの超ダイジェスト(というかそもそももとになったストーリーが短いしトンチキで以下略)なので「4thアルバム楽曲がどういういきさつで作られたものなのか」ということくらいしかわかりません。
しかし、こんなものをわざわざ用意してこれで予習して! と言ってきたという事実は無視できません。
そこで、ここから予測できる4thライブの見どころの一つは
もしかしたら、フィルムフェスティバル(もしくは前夜祭)そのものが始まるのでは?
というところです。
ごく一部のキャラを除いて、すべての4thライブの予習動画が「そして始まるフィルムフェスティバル前夜祭!」の一言で、無理やりまとめてきているので、みんなそこまではサ宇賀に見てきたでしょという前提で、もしかしたらバックのスクリーンなどがめちゃくちゃ凝った映像になっている可能性が…ある、かも…しれませんね…? わかんないですけど。
という感じで、もう眠くなってきたので、あとはもう皆さん各自で考えてください。
なんか、ここまで何をどう備えればいいのかわからない大きなイベントというのも結構珍しい気はしますが、とにかく楽しみましょう。
それでは、健康で大阪でお会いして、その後も健康で過ごしましょう。
ラブライブスーパースター6話で無事限界を迎えた超主観文書
ぬこもやしです。
いつものやつやっていきましょう。
第1回 嵐千砂都についての超主観文書
第2回 結ヶ丘学内ヒエラルキー超主観文書
第3回 嵐千砂都(オタクの)クソデカ感情超主観文書
それぞれリンクから飛べますが、まあ別に読まなくても結構です。
では、やっていきましょう
・もう、このブログおわりでよくないすか?
やぁ…その…6話なんですけど
最高でしたね…(昇天)
もうね、別にオタクの感想とかそんなに見なくていいんですよ本当は。
そんなものに時間を割いてる暇があったら今すぐラブライブスーパースターを1話から見てほしいんですよ。
何とびっくり今月末に全国の劇場で振り返り上映が…ってLVの申し込みすらもう終わっとるやんけなんでせめて6話終わって数日くらいあとまで待てなかったんだ。
ちなみになにをこんなに限界迎えてるのかといえば、気に入ったキャラが期待通りの動きをしてくれたからなんですけどね。
冗談はさておき、ちゃんとやりますね。
あんまりだらだらやると無限にループしそうなので、パリッと2点だけお付き合いください。
・嵐千砂都を作った「約束」
感想ブログを4話からさぼったので、実は結構言いたいことはできてしまったんですが、今回は嵐千砂都と澁谷かのんの話だけに絞ります。
まず、今回の話をするにあたってどうしても外せないのが、千砂都とかのんの子供のころの約束です。
気も小さく身体も弱かった幼少期の千砂都が、何度もかのんに助けられ、そしてかのんのできないことを一人でできるようになるという約束。
これが、本編の千砂都の原点であり、これまでの様々な行動の理由がある程度わかるものになっていましたね。
どうして、かのんのことは応援しながらも、一緒にスクールアイドルはやれないのか。これは、彼女なりのけじめをつけるまでは、かのんと一緒に何かをやることはしないという強い意志の表れだったということです。
前回で大暴れしてしまった、クゥクゥの誘いを断る理由もこれではっきりしましたね。そら、かのんのいる前では何も言えないし、かのんのいないところで誘われても「興味はあるけどやれない」という返答になりますよ。
そして、6話の何がすごいって、これだけの設定の初公開すら、最後の展開のためのネタ振りでしかなかったということです。
・愚か者たちの最も賢い贈り物
ものすごくざっくり言ってしまうと、第3回でも書いたように、この二人はある意味ではずっとすれ違ってきました。
千砂都は子供のころの約束を胸に、あの頃の約束に恥じない自分になろうとし続けてきた。かのんは、そんな千砂都に心を打たれ、その姿に何度も励まされ続けてきた。お互いがお互いに恥ずかしくない自分であり続けようとしていながら、お互いに向こうがなぜそこまで頑張れるのかはわからずにずっといたわけです。
だからこそ、千砂都がダンス大会の会場で本心をぶちまけた時のかのんの反応が
「私たち、一緒だね」
になったのだと思います。事実、この二人は似た者同士で、なかなか本当のことを伝えられずにいたけれども、お互いが気付かないうちに相手のことを尊敬しあっていたわけです。
このあたりのことを知り合いと話していたら
「いやぁこれって、賢者の贈り物だよな」
……
そ、それ~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!
それなんですよお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
オー・ヘンリーの超有名な短編小説「賢者の贈り物」
たぶん皆さんも子供のころに絵本とかで読んだことはあるのではないでしょうか。
東方の聖者がキリストの誕生を祝う贈り物を持ってきた新約聖書の一節をモチーフに、贈り物をめぐるある夫婦の行き違いを描いた物語です。細かいあらすじとかは思い出すかググってください。
貧しい生活の夫婦は、お互いの最も大切なものを売り飛ばしながら、相手へのプレゼントを買ってしまうその様子を、その作中では「 二人は愚かなことに、家の最もすばらしい宝物を互いのために台無しにしてしまった」と表現しています。
その一方で、作者のオー・ヘンリーは「 贈り物をするすべての人の中で、この二人が最も賢明だった」と本の中で書いています。
この夫婦を愚か者といえる理由は結構はっきりしています。
事前にちゃんと相談しあっていれば、もっとちゃんとした贈り物ができただろうに…という感想だったり、自己犠牲からなる贈り物や献身はただの自己陶酔だろうという、客観的な考察ができます。
一方で、なぜこの夫婦は「最も賢明だった」といえるのでしょうか。ここは結構解釈が分かれるところなのですが、個人的には「お互いのことを本気で思った贈り物がしあえるほどに、心を通わせていた」というところでしょうか。
また、買ってきてしまった互いの贈り物を未来に向けて残しておこうという二人の結論から「ただの物ではない、幸せな未来の暮らし」をお互いに贈りあったという、これ以上ない贈り物だったという解釈もできると思います。
わざわざここまで書けば何となく察していただけるかなと思うのですが、千砂都とかのんの関係はまさしくこの賢者の贈り物に登場する夫婦のようなものだといえます。
ある意味では、この二人は愚かといえます。特に千砂都ですけど…
特に、だれに相談もせず退学しようと決めるあたりとか本当に何考えてるんでしょうね。神津島から戻ってきたかのんに「学校辞めてアメリカ行く」なんて言ったらその場で気絶しそうとか思わないんですかね。
まあ、かのんもかのんで、「かのんちゃんの歌を聞いていたい」とぎりぎりの本心を口にしてる千砂都の前で「試験に落ちたから歌はもうおしまい」なんて言って、目の前の人がどんな気持ちなのかわかr…わからないかぁ…そらそうですよね…
といった具合に、若さゆえの愚かさは確かにこの二人にはありました。
しかし、一方で幼少期の千砂都の未来を救ったかのんとの約束や、再び動き出したかのんの新しい夢を自分の目標が壊れないぎりぎりのところまで協力する千砂都の様子は、まさしく「互いに必要なものを迷いなく差し出せる賢明な者たち」といえると思います。
これは、賢者の贈り物に登場する夫婦のように、お互いが相手のことを本気で思っているからこそできる絶妙なバランスだったのでしょう。
そして、6話でようやく互いの気持ちをぶつけあい、すれ違いながらもお互いに支えあっていたことが分かったわけです。
まぁ~…この辺は完全に限界を迎えていました。
正直ラブライブってもっとこう、勢い重視の展開が多いと思ってたんですけど、こんな丁寧で詩的な表現を推しの回でやられてしまうとそれはさすがに…限界が来ますね…
とか何とか言ってたらそこそこの長さになったので、いったんここらへんで締めたいと思います。
次回から葉月恋の話が来るようですが、実はまだ触ってない部分が残ってるんですよね…
単推推の話、多分まだ終わってないですよね…
そんな感じで
以上、解散!
嵐千砂都がクソデカ感情大爆裂女だと思ってたらオタクがクソデカ感情大爆裂になりそうな超主観文書
唐可可単推推のぬこもやしです。
タイトルの通り、いつものヤツやっていきましょう。
第1回 嵐千砂都についての超主観文書
第2回 結ヶ丘学内ヒエラルキー超主観文書
それぞれ上のリンクから飛べますがまあ別に読まなくても大丈夫です。
本日のテーマはタイトルの通り
嵐千砂都のことをクソデカ感情女だと思っていたら自分がクソデカ感情大爆裂オタクになっていた。
です。張り切っていきましょう。
とはいえ、もうほとんどタイトルでオチてるんですよね。
第1回で澁谷かのんと嵐千砂都の関係についてあれこれ書き散らし、嵐千砂都が澁谷かのん限界感情女じゃんとあれこれやりましたが、3話でそれがさらに深まっていきます。
第3話最初の嵐千砂都。
かのんが結局人前では歌えなさそうだということが判明し、葉月恋に「醜態をさらす前にやめたほうがいいのでは」と厳しく詰められているところに「まだできないと決まったわけではないし、理事長の許可もあるから問題ないよね」と毅然とした態度で言い返します。
横の二人がすげぇいたたまれない感じなのに、かのんへの期待半分事実半分くらいで言い返してる感じが、千砂都っぽいんですよね。
あと、テレビで見た時は気が付かなかったんですけど、ここの直前に恋のため息聞こえるの好き。口動いてないからたぶん青山なぎさたむのアドリブですね。すきだよ。なぎさ♡
歌えるようになるための特訓と称して好き放題やるクゥクゥと千砂都。
バイト初日もワンオペだったり勝手に友達を焼き場に立たせたり、マジでこいつただのバイトテロなんだよなぁ…
かのんに「やめろ」といわれても「何の問題が…?」という感じにすっとぼけた顔する二人がいい味出してますね。
この後、クゥクゥが夜なべして用意したユニット名看板やサイリウムを振りまわしたりと割とおちゃらけたシーンが続くのですがそのあたりはちょっと飛ばして、話をBパートまで進めます。
代々木スクールアイドルフェスティバルに向けて準備を進めるかのんたちの元に、同じフェスにクゥクゥのあこがれのスクールアイドルであるサニーパッションも参戦するとの知らせが入り、オタクのクゥクゥは大盛り上がりしますが、そんなサニパに勝たなければ結ヶ丘でスクールアイドルは続けられないと気付いたあたりから、さっきまでの雰囲気がウソのように引き締まった空気になります。
Aパートで最悪かのんは歌わなくてもいいから一緒にステージに立ってほしいといったクゥクゥが、残り時間は少ないけど頑張れば完璧になるはずだとかのんを励ますように強がるシーンで
かのんの表情をちらっと見て帰ろうとする嵐千砂都…
ここ、ふたりがサニパに勝つのは無理とは言わない一方で、実際にサニパのパフォーマンスを見てからなので、このままやってれば何とかなるよという根拠のない励ましもしないんですよね。
また帰ろうとする理由が「自分がダンスの練習をするから」なのもいい味出していて、自分の都合で消えるだけだから、二人は気にしないでいいっよってことなんですかね。
「実際にステージに立つのは二人なんだから」というのも、厳しい現実に対して、二人で答えを出してほしいってことなのかもしれませんね。
んで、ここですよ
いあやぁ、ついにクゥクゥがかのんの邪魔が入らないところで千砂都を勧誘しましたね。
第2話で同じように誘うも、かのんが遮ってしまったあの時とは違います。この時点での千砂都の本心がどうなっているのかようやくわかるシーンだと、ここバキバキに緊張しましたね。
スクールアイドルに興味はある。
でも、今はダンスで結果を出すのが大事だし、かのんちゃんが本気だから生半可な気持ちでは一緒にやれない。
いやぁっぁぁああぁあぁぁああぁぁっぁぁあああああああ~~~~~
嵐千砂都ぉぉおおぉっぉぉおぉぉおぉぉおおおおぉぉぉぉおおぉぉおおお~~~~~
失礼しました。限界を迎えてしまいました。
日本のアニメや漫画のストーリーにこういう部活物が100本あって、その中に出てくる主人公の幼馴染って普通どんな動きしますかね。
100あったら99は「主人公が本気だから、一緒にやる」だと思うんですよ。それこそラブライブの過去作ですらここはすべて一緒なんですよ。
だというのに、この嵐千砂都という女はですね
かのんちゃんが本気だから、一緒にはやれない
なんですよ。
それはさすがに、限界ですよ。
千砂都が持ち出した理由は大きく二つ「ダンスがあるから」と「かのんちゃんが本気だから」なんですけど、これ実はどっちもすでにかのんが一回言ってることなんですよね。
ダンスがあるから、というのは言わずもがな。第1話の初登場から千砂都の前でかのんが「ダンス頑張ってね」と応援していたり、クゥクゥが千砂都を勧誘した時も「千砂都ちゃんにはダンスがあるから」と千砂都の答えを聞く前に断ってるんですよね。
それともう一つ「本気だから」というやつなんですけど、第2話で千砂都がかのんに対して「いったん別の部に入ってチャンスをうかがうのは」という提案をした時に、かのんが「そんな半端な気持ちじゃ、その部活の人に失礼」といってるんですよね。
実は千砂都はすでに一回、まだ見ぬ誰かの本気を利用してでも、スクールアイドルを陰で続けたらどうかと提案してるんですよね。それに対して、かのんの答えが「相手の本気に失礼」なんですよ。
これは千砂都は相当頭ぶん殴られた感覚だと思うんですよね。そりゃそうだって感じですよ。自分のところにそんな奴が来たらそりゃ嫌な気持ちになるし、かのんちゃんのところにそんな奴が来たらもっと嫌ですよたぶん。自分では現実的な案を出したつもりでいたら、そりゃそうだとすでに殴り返されてしまってるんですね。
だから実は、ここで千砂都がクゥクゥの誘いを断る理由は、どっちもかのん由来の感情なんです。
ただ、ここでまだわからないのが、千砂都もかのんもどっちも「お互いが一緒にやりたいと思っているかどうか」は何も言ってないんですよね。
この二人は本当にお互いのことがわかってるし、お互いのことを配慮していて、かのんも「千砂都ならダンスが大事だからスクールアイドルはやれないって言いそう」っていうのはわかってるんですよ。少なくとも、建前だろうと何だろうと、千砂都がいいそうなことはちゃんと言い当ててるんですね。
ですが、繰り返しになるんですけど「本当のところは、一緒にスクールアイドルをやりたいかどうか、まだどっちも何も言ってない」のが現状なんです。
お互いがお互いのことを想うからこそ、一番大事なところですれ違うこの幼馴染。本当に切ない…
けどさぁ…千砂都さんさぁ…いいのかよ本当に、スクールアイドルはやらないなんて言っちゃって…
かのんはきっと一緒にやってって言わないし、クゥクゥにもやらないって言っちゃってさぁ…それでこの後どの面下げてやっぱりやりたいなんて言うんだよ…もう、そのシーンのこと考えただけで限界を迎えそう…
なあ千砂都…お前、なんだよその顔はよ…
ライブの振り付け完璧すぎんよってのは誰かがやってくれると思うので割愛しますけど、その表情は何だよ…
なぁ…それ、どういう感情なんだよ…なぁ…
いやまあ、ここは正直わからないですけどね…?
けど、本当にどんな感情なんでしょうねこれ…最後は普通に笑いながら泣いてるのに、この何かをこらえるような表情は本当に何なんでしょうね…
千砂都に関する細かい答え合わせはまだもう少し先なんだろうなぁ…
と思っていたらついに現れましたね。
Liellaの最終兵器が…
ということで、次回はたぶんバカ回なので限界を迎えることはなさそうなのでお休みです。
またそのうち。
解散!!
結ヶ丘女子高等学校の学科ヒエラルキーに関する超主観文書
ぬこもやしです。
前回の超主観嵐千砂都文書に引き続きやっていきます。
※↑のリンクから前回のに飛べますが別に読まなくてもいいです。
ラブライブスーパースター、実際皆さん感想としてはどうですかね。
私はですね、前回の内容のほかにも、アニメのみの方のために詳細は伏せますが葉月恋の母親の話やギャラクシーさんの過去など、結構重めな設定がまだまだ隠れているのがわかっているので、こう、なんといいますか…
私の好みに近い話
が今後も来るんじゃないかなと思っています。
今回の内容は、あくまでそういった「ちょっと重い話」になるんじゃないかという前提でストーリーや様々な描写をちょっとうがって見た時に「まあ、そういう解釈もなくはない…のかな…?知らんけど」くらいの話ですので、あまりマジになってしまいそうな方は、まあこれを機にこういうのにも慣れてください。
ではいきましょう。
・結ヶ丘女子高等学校の受験に関して
まずそもそも、ラブライブスーパースターの舞台となっている結ヶ丘女子高等学校の設定について改めて整理すると、以前は神宮音楽学校という音楽系の学校であり、それを今年になって普通科も併設した新しい学校として再スタートを切った。
ということがアニメからだけでも読み取ることができます。とりあえず「音楽科」と「普通科」があるということだけわかれば今回はたぶん十分です。
そこで、今作の主人公である澁谷かのんは音楽科の受験に失敗して普通科に…って話は前回やりましたね。
音楽科に進んだ同じ中学の子とばったり会って気まずそうな澁谷かのん。
まあ、このシーン自体は別に、自分が行きたかった学科に受かった知り合いと会うっていう普通に考えてクソ気まずいシーンなのでいいんですけどね。
ただ、ここでちょっとメタ的な思考を挟みます。
当たり前ですが、音楽科同様に結ヶ丘女子高等学校の普通科も入学希望の生徒に対して受験を実施します。学校のレベルに合わないやつが来てもお互い不幸になるので、来ないでくださいねというために受験というのはあります。そこで「私の夢は結ヶ丘女子高等学校の音楽科に進みうんぬんかんぬん」といっていた澁谷かのんがなぜ普通科に…?という疑問が浮かびます。
ただ、これは今の私にはわからんのでもっとメタ的な発想で掘り下げていくと
結ヶ丘女子高等学校の普通科は音楽科の受験に落ちてからでも入れる日程になってる。
ということが言えます。少なくとも、最初から普通科も受験するつもりだったとは言えない…と思うんですがどうでしょうかね…?
どちらにしても「音楽科に落ちたけど普通科に入学した」あるいは「最初から普通科も受験していた」のどちらかであり、音楽科がダメなら普通科に進学する何らかの理由もあったのでは?と推察できます。
だから何?と聞かれるとちと困るので、実際この話はいったんここでおしまいです。
ただ、結ヶ丘女子高等学校に入学する生徒の中には音楽科と普通科を併願していた生徒がいる可能性があるということだけ覚えておいてください。
つまりこれって、普通科の生徒から多めに学費をゲフンゲフン。
・校舎とか入学式とか
奧が音楽科の校舎です。キービジュの古そうなな木造校舎は普通科の校舎です。ちなみになぜか葉月恋は普通科の校舎に暫定生徒会室を設置しているっぽいですね。
閑話休題、まあここら辺はもう一目瞭然ですね。神宮音楽学校時代の校舎も使っているものの、力を入れている音楽科は新しい校舎を作っているわけです。
それだけならまあそういうこともあるやろ、って思えるかもしれませんが
入学式の座席配置です。なかなかの違和感があるなぁと思いました。
考えすぎかもしれませんが、同じ学年の学科違いなら普通縦に並べません?それと、圧倒的に普通科の人数のほうが多いこともわかりますね。
わざわざ横に並べて「前が音楽科」「後ろが普通科」という学科の違いが露骨にわかる並べ方。また、理事長のスピーチでは音楽科に対して「歴史を受け継いで大きく羽ばたいてほしい」というのに対して普通科にはスピーチの内容は特にありませんでした…悲しいですね…
・音楽科に目を付けられる
ぶっちぎりでビビったセリフは2話のここです。
唐可可の署名活動に巻き込まれている澁谷かのんに対して、神(予定)モブ3人衆がやめたほうがいいというのですが、その理由の一つが
音楽科に目を付けられる
なわけです。
いやいやいや。ちょっと待てや。
音楽科に!?!!?!?
目を付けられる!?!?!!!?!??
え、それなんか困るんか??????
先生に目を付けられるとかそれならまだわかるし、実質現時点で生徒のトップである葉月恋に目を付けられると面倒というのも百歩譲ってわかります。ただ、音楽科を敵に回すことが結ヶ丘女子高等学校での生活において明確なデメリットになるってことですか!?
そもそも悪目立ちした生徒がほかの生徒に目を付けられるって、偏差値25の商業高校とかでしか聞かない表現じゃない????????
と、まあそんな具合な話をまとめると
結ヶ丘女子高等学校の生徒は音楽科と普通科の併願をする子がいる。
学校の設備においては音楽科と普通科で明確な差がある。
普通科の生徒は音楽科を敵に回すと面倒なことになる。
という話が推察できます。
やっぱ、結ヶ丘女子高等学校に進学する子って普通科でも音楽科でも、音楽が好きだから入学を希望していて、普通科の生徒もよしんば音楽科に転科を…とか考えていたりするんじゃないですかね。
だから、後々のことを考えた時に音楽科は敵に回してはいけない。転じて、音楽科は普通科の生徒に対して、多少なり自分たちのほうが上位、ないしは学校の中心であるという感覚がある可能性が…ある…ない…?ないですかね…?
・制服
で、結局なに?といわれそうなので、最後にしますが、この結ヶ丘女子高等学校の学科ヒエラルキーが存在する可能性を提示することで何が言えるのかというと、アニメ本編を見ていればもうお気づきかもしれませんが、メインキャラ5人はそれぞれに異なる学科に所属し、2話時点ですでに異なる制服で登場しています。にもかかわらず、これまでのイラストやアニメキービジュアルでは全員同じ制服で登場しています。
これ、さすがにミスとかなんも意味ないとかでは無視できない情報なんじゃないかと思っています。これでなんも関係なかったら逆に驚くわ。これは、今回の内容を基にした変化球予測ですが
今後、この結ヶ丘女子高等学校の学科ヒエラルキーが何らかの形で問題となり、主に葉月恋の行動理念に大きく影響する可能性があるのではないかと思っています。
なにせ、彼女は結ヶ丘女子高等学校を地域で一番の学校に、と思っているのに対して、学科ヒエラルキーが当たり前に存在する学校に人気が出るかというと、ちょっとこう、教育的に良いイメージはないですよね。
そこで、この問題の解決のために、このころにはある程度有名になっているであろう澁谷かのんや唐可可を中心とした普通科のスクールアイドル部と葉月恋が互いに手を取ることで、なんやかんやがあるかも…
という可能性が少しあるんじゃないかな、と思った次第です。
まあこれで実際蓋を開けたら
何か5人そろったけど制服のバランスわりぃなぁ
せや!3対2で普通科が多いから活動中は普通科の制服で!∩(´◔。◔`)∩
みたいな展開になったらこの文書はそっと姿を消します…
以上!
おしまい!
おまけ
えっ、ちょっと待って、葉月恋の学校というか母親に対する言及、初期設定と最近変わってる…変わってない…?どうしても気になる方はラブライブ総合マガジンのvol.7を引っ張り出してみてください。
いやこれ、ラブライブ特有のサイレント設定変更来てますね…壊れるなぁというか前提崩れたわ…さようなら…
嵐千砂都は澁谷かのんへのクソデカ感情大爆裂女説についての超主観レポート
いや、ついに始まりましたね。
先日11周年を迎えた日本最大の二次元アイドルコンテンツ「ラブライブ」の最新作である「ラブライブスーパースター」のアニメが。
とはいっても、世界最大のスポーツの祭典との兼ね合いで早速2週間お休みですが。ということで、とりあえず2話まで見たので感想を…
と、思ったんですが、もう普通のまじめな感想はなんかもうほかの人が腐るほど書いてるので、私はもうちょっと好き勝手に感じたことを適当に書いていきます。
・単推推
動いてしゃべる唐可可、クッソカワ…
既に思ってたのより10倍くらい面白い動きでありがとう…
後ろから見た時の髪の形がシーンによってまちまちなので、たぶん指定が難しいというか書いてる人の解釈が微妙に出てる感ありますね。
・本題終わりました
ということで、以下はおまけです。
まず最初に、今回の話をするにあたり知っておいてほしい前提の情報がいくつかあります。
今作の主人公「澁谷かのん」とその幼馴染である「嵐千砂都」についてです。
澁谷かのんは歌が大好きで、周りからも認められる美声の持ち主でありながら、極度のあがり症で大きな舞台の上ではまともに歌うことができませんでした。そのため、昔からそれにコンプレックスを感じており、高校進学に当たって今作の舞台でもある結ヶ丘女子高等学校の音楽科を受験するも失敗。結局同校の普通科に進学しています。
対して、嵐千砂都は最低でも小学生のころから澁谷かのんの幼馴染であり、かのんと同じ結ヶ丘女子高等学校の音楽科にダンスの力を認められて入学しています。
そんな嵐千砂都の初登場シーンがこちら。
かのんがうっかり路上で歌ったら唐可可に追い掛け回されたところでばったり遭遇します。
かのんが千砂都に対して「せっかく音楽科に受かったんだから、ダンス頑張らないとね」といってくれたのに対して「かのんちゃんも歌、続けるんでしょ?」と返します。
まずそもそも、この発言がやばくてですね。
千砂都は小学校からの幼馴染であり、かのんのあがり症について、さすがに知らないはずがありません。知らないならそれはもうこいつ別に幼馴染でもなんでもなくただの他人で終わりです。知っててこの発言をしているという仮定で行くと、ここからはじき出せる千砂都のパーソナリティーは大きく二つ。
すべての事情を知ったうえで、それでもまだ二人の関係を壊さない程度の適切な距離を保ちつつ応援しようとしている人
もしくは
距離感ぶっ壊れてるサイコパス
のどちらかです。
学校に向かいながら「受験に受からなかったら歌はやめると決めてた」という話を再確認している千砂都のこの表情から察するに、さすがに後者はないでしょうね…
ここで別れ際に「私はかのんちゃんの歌、聞いていたいけどな」と自分の気持ちを伝えます。
これは千砂都に限らないんですけど、だれ一人「〇〇したほうがいい」とは言わないんですよね。決して押し付けてこないといいますか。特に、かのんが歌えるようになるかどうかというストーリーになりそうなこの物語において、一番最初に「かのんの歌が好きで、続けていてほしい」といってるのは千砂都なんですよね。唐可可が中国語でなんか言ってても、かのんに伝わってないのでノーカンです。
今後どんな結末になったとしてもこの「最初にかのんの歌が好きとちゃんと伝えてるのは嵐千砂都」という事実は覚えておいて損はない気がします。
続いての登場シーンはこちら。
かのんが学校でスクールアイドルの勧誘をする唐可可に絡まれていたらついでに葉月恋にもイチャモン付けられてしまった夜に、バイト先に顔出しついでに話を聞きに行くシーンです。
しかし、バイト始めた初日にワンオペさせられる女子高の1年生ってさすがにどうなんですかねというか、お店側の人繰りどうなってんですかね…
ここすき。
学校の(ある意味)有名人をいじって笑ってるところ、マジでリアルだと思います。
っていうか、葉月恋おまえ、入学初日で裏でネタにされるくらい悪目立ちしてて大丈夫なのかマジで。完全にバカにされとるやん。
閑話休題、スクールアイドルをやってくれそうな人の情報を集めるために、とりあえずかのんが一番近くてかつ音楽科である千砂都のところに相談に来ているわけです。結果として、大した情報も得られずにお家に帰ってますが。
あああぁああぁああぁぁああぁぁ^^^~~~~!!!!!!1
ここ!!!!!!!!11!!!!!
ここなんすよ!!!!!!!!!!!!!!
千砂都から買ったたこ焼きを家族に渡す澁谷かのん…
千砂都の気持ちは、まだかのんに届いてないんですよ…
つら…
しかもこの後で、唐可可の熱い想いにあてられて、かのんは「もう一度歌を歌おう」と決意しちゃうんですよ。
もちろん、唐可可一人のおかげでそうなったわけではありません。それでも、何年もずっと近くできっと何回も「歌を聴きたい」といい続けてきた千砂都の言葉ではなく、ある日突然現れた人間にかのんが動かされたんですよ。
つら…
ということで2話の嵐千砂都です。
軽快なクソラップとともに登場。かわいい。
かのんに葉月恋の情報を聴いてきてほしいという使いっぱをされて、到着即本題のかのんに文句を言うあたりが、二人の親密さを表していますね。
相変わらず取り付く島もない葉月恋に対して、行動力の権化である唐可可が普通に退学しようとするので、なんとか搦め手で勝負できないかと探るかのんでしたが…
という千砂都の調査結果。
ここで千砂都は「いったんほかの部に入ってチャンスをうかがう」という現実的な提案をします。これ、あとでも出てくるんですけど、千砂都ってたぶん結構リアリストなんですよね。良くも悪くもシビアに現実を見てるというか。
それに対するかのんの「そんな理由で別の部に入るのはそこに失礼」っていうセリフ、私結構好きです。千砂都も間違ってないけどかのんの言うことも同様に正しいですねまじで。
ここ中国人が弾圧と戦い自由を叫ぶセンシティブ表現。
なんやかんやあって、葉月恋の部活制限はさすがに不当という判定をもらうものの、音楽が大事であることに変わりはないので、とりあえず実力を示してこいという理事長の判断を聴いて
「ドンマイ」
とあきらめる嵐千砂都。ここも彼女のリアリストっぽさが出てますね。
まあ、普通に考えたら無理でしょっていう話ですからね。さっきまでは120%無理だったのが95%くらいになっただけじゃんドンマイ。みたいな感じですね。
そこから、とりあえず千砂都にダンスの稽古をつけてほしいという流れになるのですが…
「よかったら、千砂都サンも一緒にスクールアイドルやりませんか?」
「クゥクゥちゃん、それは無理」
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおま!!!!!!!!!!!!!!!!
おまえ!!!!!!!!!!!!!!!
な、なにかってに¥!!!!!!!!!!!!!!!1おま!!!!!!!!!!!!!!!ことわって!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!澁谷おまえ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
この後の本編でもそうなんですけど、千砂都は実現可能性が低いことははっきりそう言うし、実力が足りてなければ全然ダメとはっきり言うし、自分が好きだと思っていることはその相手にはっきりと伝えるんですよ。前述のとおり、千砂都はしっかりと現実を見ているリアリスト寄りの人間だというのは、さすがに皆さんもうすうす感じていると思うんですよ。
その千砂都が、唐可可にスクールアイドルをやらないかと誘われたときに少し驚いて、なにか返事をするのかというタイミングで
「クゥクゥちゃん、それは無理」
おい!!!!!!!!!!!!!!!!!!澁谷!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!1おまえ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!1勝手に決めるな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!1
いやまあ、この後で「千砂都ちゃんは音楽科だから、これ以上無理は言えないよ」と、先ほどの言葉の理由を付け加えます。
たしかに、言ってることのロジックは通ってるのですが…その、なんというか…
この作品でここまで出てきた押し付けや決めつけは葉月恋の「スクールアイドルは認めない」とここの
「クゥクゥちゃん、それは無理」
だけなんですよ。
相手の返事を聞かずに、自分のイメージで勝手に話を進めてしまっているんですね、この二つだけが。
そりゃ千砂都もこんな感じの微妙な顔をしますよ。しかもここ結局
返事がないんですよ。
イエスともノーとも言ってないんですよ。
っていうか、やっぱかのんと千砂都って一回くらい、かのんのあがり症関連でなんか喧嘩というかそこそこ致命的な決裂をやらかしかけた経験があるんじゃないですかね。
その過去があるから、千砂都もかのんに対して、「かのんちゃんの歌が好き」としか言えず、本人の言うことに対して強く意見をぶつけることができないんじゃないですかね…?
それが結果として、千砂都のリアリストな部分にマッチして、かのんにとって心地よい距離感を保つことになっているというの可能性が…?ある…?ない…?
どちらにせよ、出会ったその日からかのんに対して「一緒にスクールアイドルをやってほしい」という強い想いをぶつけた唐可可に対して、かのんのそばにずっと一緒にいて、かのんに頼まれたことはやるし、「かのんの歌が好き」という思いは伝えるものの
「かのんにどうなってほしい」
という自分の意志は今のところ一度も口にしていない千砂都の対比はかなり強烈ですね。
かのんと千砂都の細かい関係や過去はまだまだアニメでは明かされていないため、この辺の描写が今後どう生きてくるかのよっては、嵐千砂都のクソデカ感情大爆裂回が来るかも…?
といったところで、今回はここまで。
本当はもっとこう、結ヶ丘の音楽科と普通科の学科ヒエラルキーがありそうとかそういう話もしたいんですけど、長くなるのでおしまいです。
では、また次回。
さようなら
前回のラブライブ!【ラブライブ11周年おめでとうございます】
ぬこもやしです。
本日はもしかしたらぬこもやしブロマガ史上初かもしれない「他人の企画に乗って書くやつ」をやります。
ということで、今回やるのはこちら。
生春さんの主催の【それぞれの好きを言葉にする祭り】でテーマは「ラブライブ!を追いかけるうえで、特に大切にしているもの3つ」です。
多分長くなるのでガンガンやっていきますが、企画の性質上無限にオタクの自分語りになります。そこんとこよろしくお願いします。まあでも少なくとも主催は他人を巻き込んだんだから全部読むんですよね(圧力)
では、スタート!
といった感じで始めたのですが、まずこの企画を最初に聞かされた時の感想は
ラブライブを追いかけるうえで大切にしてるもの…
ねぇなぁ~~~~~!!!!
でした。
正確には「大切にしている何かを軸にラブライブを追いかけている」という感覚は一切なくて、ラブライブに限らず基本的にオタクコンテンツには気がついたら落っこちている民なので、改めて「大切にしてるものは?」と聞かれると
ってなっちゃうんですよね。
主催の問いに対して「ありません」で終わってもいいのですが、事実としてラブライブにはハマっているし、そんな答えで終わらせるのもなんかむかつくので3日くらい考えたところ、ラブライブにはまった理由をきちんと説明できればそれが私の中にある
「ラブライブを見るうえで大切だと思ってるけど気づいてないところ」
がわかるのではないかと思い、就活以来の自己分析を始めました。ジョハリの窓とか知らん人は調べてみてね。結構面白いですよ。
というのを数日やってみたところ、ある程度の答えが出てきたので、やっていきましょう。
・渡辺曜と天王寺璃奈
普段の私を見ている人なら言うまでもないことですが、ぬこもやしくんのラブライブを語るうえで外せないキャラが二人います。
渡辺曜
と
天王寺璃奈
です。
そもそもラブライブに触れたのが、サンシャインの劇場版が公開されるということでせっかくだし見てみようか。という偶然でした。
その中で、サンシャイン1期11話「友情ヨーソロー」に感情をたこ殴りにされたのがすべての始まりです。
正直なことを言うと、それまでラブライブのイメージというとちょっと滑ってるギャグと臭いセリフのオンパレードで、10代そこそこの若いオタク向けだと思い込んでいたのですが、実際に見たラブライブサンシャイン1期11話で「これほど等身大で生々しい感情をむき出しにするのか…」と驚いたことを今でも覚えています。
大好きな幼馴染を突然現れた新参者に奪われてしまった。あるいは、そもそもその幼馴染は自分と居るのが実は嫌なんじゃないか。という後ろ暗い感情を、それまで元気印の代表のような言動をしていたキャラがぶつけてくるストーリーに本気で涙しました。
なので、このあたりで「自分はラブライブを侮っていた…」ということに気づいたんですよね
。
さて、ではここで最初の引っ掛かりポイントが登場しました。要するに、渡辺曜の何がよかったのかということです。それはずばり
人間味
でしょう。
もちろん、ラブライブのキャラクターは全員画面の向こうの2次元の存在ですが、それでもなお伝わってくる人間らしいリアルなキャラ造形に、当時のぬこもやしくんは引っかかったのだと思います。
そのまま雪崩れ込んでいきます。
ちょうどサンシャインの劇場版とほぼ同時期に虹ヶ咲学園の1stアルバム「TOKIMEKI Runners」がリリースされていました。
ジャケットがこちらです。
なんか右上にどう見ても変なのがいますね。
それがほかでもない天王寺璃奈です。
当時は虹ヶ咲のことは何も知らなかったのですが、このアルバムに収録されている「ドキピポ☆エモーション」にまた頭をぶん殴られました。
詳細は省きますが、これまた裏に隠れたストーリーがもはや隠れていない、ドギツイ感じの曲になっているので、ぜひ歌詞を見ながらフルで聞いてみてください。
と、ここまでくればなんとなく自分で見えてきたのが、やはり私はキャラクターの造形として「さながら隣にいるようなリアルなキャラクター」が好きなんだなと感じています。
今後ラブライブを見ていくうえで、ここは重要なポイントになるのだろうなぁというのが正直なところで、最新作のスーパースターはここを全力で振り回してくる雰囲気がするので、マジでビビっています。
・積み重ねることで生まれる説得力
ただ、どれほど人間臭い設定があったとしても、明らかに「後付けだな」と分かってしまうと私はたぶん萎えます。これはたぶんマジです、ス〇〇タの話はしていませんが。
私は自分でも正直マジのクソ文系タイプだと思っていて、理論のないパッションはやはりどこかで無理が来るもので、行き過ぎた根性論は人を破壊すると思っています。悪い方向にね。
ではどうしろと?というのに質問に対する私の答えは簡単で「説得力を身につけましょう」です。
架空のキャラクターにおける説得力とは何かといえば「エピソードの積み重ね」に尽きます。
ちなみにこれは別に作品の中に限りません。ラブライブを追いかける「あなた」の中にある積み重ねでもいいでしょう。
私自身、オタクとしてのルーツが「自分のなかにあるキャラクターを自分なりに育てる」という遊び方が普通だったので、そこから生まれる「キャラクターが持つ説得力」こそが、コンテンツを楽しむ秘訣だと思っているので、ここだけはオタクをやめるその日まで変わらないのではないでしょうか。
あれ?なんかもう、答え出てますね。
ラブライブに限らないんですけど、やはり私がコンテンツにはまるのに必要なものは
説得力
だと思っています。
渡辺曜は1期11話に向けてチクチクと高海千歌へのクソデカ感情を編んでいました。天王寺璃
奈も、約束された勝利のアニメ虹ヶ咲6話に向けてコツコツとネタ振りをしていました。
先に出た「人間味」を自分の中でも外でも積み重ねることで生まれる「説得力」こそが、私がラブライブに求めるものなのかもしれないです。
・でもやっぱ最後は縁なんですよ!
身も蓋もないのですが、やっぱり最後は縁なんですよね。
先ほど、サンシャインを見るに至ったきっかけを書きましたが、それ自体も「たまたまちょっとアイマス以外のコンテンツも見たいなと思っていた時期にサンシャインの劇場版をやっていて」「そこでたまたまサンシャインのTV版を見始めて」「たまたま1期11話が私の琴線に触れて」「たまたま同時期に虹ヶ咲がようやく本格始動するタイミングで」「たまたま天王寺璃奈を知った」
という、もう書き始めたらきりがないくらいたくさんの「たまたま」のおかげでこうしてラブライブへの興味を絶やさずにいることができているのは間違いありません。
主催が求めるテーマの中に「これからラブライブ!を通して自分がやりたいこと」というのがあります。
私がこれからやりたいことはまだありませんが、大切にしたいのはこの「縁」だと思っています。
たくさんの縁に支えられて、こうしてラブライブという新しい遊び場に出会い、新しい出会いもたくさんありました。
きっとこの先も私の知らない何かが待っていると思うので、こうして出会えた「縁」を大切にしてたくさんの出来事を「積み重ねて」行くことが、私の中のラブライブの「人間味」を深めていってくれることでしょう。
いやぁ~!!
出ましたね!!結論!!
「ラブライブ!を追いかけるうえで、特に大切にしているもの」ではなく正確に言えば「ラブライブ!を追いかけるうえで、大切だとわかりながら気付いてなかったもの」な気はしますが
「人間味」
「説得力」
「縁」
の3つです!
以上!終了!!!
まあなんというか、これからも楽しくやれればそれが一番だと思います。
おしまいです。
推しさんのワンマンライブに初参戦して号泣してきました
ぬこもやしです。
先日、無職を辞めて(無をやめるとは?)社会復帰したのですが、それはそれとして普段「推しさん」と(勝手に)呼んでいる斉藤朱夏さんのワンマンライブに初参戦してきました。
2019年のソロデビュー以降、なんだかんだ情報は追いかけていたものの、実際にイベントに行くことができなかったり、チャンスがあってもイベント自体がなくなったりが重なりだったので、今回初めて現地に赴くことができました。
ついでに、今回の会場である東京ガーデンシアターにも初めて入ったのですが、1万人近く収容可能でありながら、どの席でもかなりステージが近く感じられるいい会場ですね。
会場付近ではデジタルサイネージで無限に推しさんが映るという歓迎っぷりで、テンションも上がります。
さて、ライブの感想なのですが…まぁその、普通に泣いてしまいましたね…
私自身、推しさんへの向き合い方は実のところ結構不真面目で、CD等は一応買っているものの、前述のとおりイベントに行こうと思えば行けたところを不参加にしたり、本人のラジオも正直あまり聞いていません。
ですが、そんな私にもわかるくらいに推しさんはとても「クソ真面目で」「常に自分という壁に向き合って」「お客さんに寄り添って大切にしている」ということが伝わってきます。時折思い出したようにラジオを聴くと飾らない自分の気持ちをぶつけてくれます。ライブが何度も延期になったり中止になっていて、過去の物もあわせて開催予定だったイベントの半分くらいが虚空に消えることが確定したころは「ライブマジでできん!キレそう!(意訳)」と正直に話していました。そういうところは本当に真面目で正直な人だなと思っています。
また、できるだけ多くのお客さんを大切にしようとしているのも後述しますが今回の演出で見えてきましたし、いつぞやのリリースイベントではサイン何枚描いたかわからんくらいの枚数出してたみたいだし…?
そんな推しさんが今回歌を通じて伝えてくれたのは、「これまで感じていた寂しさ」や「再会できたことの喜び」でした。
推しさんのワンマンイベントは実に約1年半ぶりで、昔からイベントに参加している人でも、本当に久しぶりといえるものだったと思います。MCでも「みんなに会いたかった」と語りながら、デビューミニアルバム収録曲の「くつひも」や「あと1メートル」、最新シングル収録の「秘密道具」などで一切飾ることなく気持ちを伝えてくれました。
推しさんの楽曲は、別れや会えない時間の気持ちをうたう、ちょっと甘酸っぱい曲が多めになっています。正直、私はもうそこそこいい歳なので、こういった青春真っただ中の歌詞はちょっとむずがゆくなってしまう時もあるのですが、今回ばかりは昨今の情勢下に感じていたことが推しさんも同じように思っていて、まるでその気持ちを共有できたような気持になり、かなり泣いてしまいました。
振り付けでも、まるで「本当は隣に誰かがいるようなスペース」を作っていたり、目でも耳でも推しさんがこれまで感じていた寂しさのようなものが自分にも届いてきたと思います。
しかし、確かに会えなくて寂しかったことは事実なのですが、それはそれとしてめちゃくちゃに遊びたがるのも推しさんのいいところで、後半はほぼぶっ通しでアップテンポの楽曲を詰め込んできました。
「Your Way My Way」では、客席を赤グループと青グループに分けて、旗上げゲームの要領で「ここでコールをしたい!」と思えるところで一斉にサイリウムをかざすことで一体感を作り出してくれました。
推しさん最強楽曲の「パパパ」では「もうわかってるでしょ!」といわんばかりにサビでフリコピを要求したりと、とにかく楽しむところは全力でといわんばかりの構成になっていました。ちなみに私はこのパパパくんを聴きに行ったみたいなところもあったので、曲の入りでマジで跳ねました。ところでこの曲、アニメタイアップ曲なんですけど、推しさんの世界観からそこまで外れてないのは本当に偉いと思いますね。
MVも含めてマジでお勧めの曲です。
一番泣いたのは、最新シングルの表題曲である「セカイノハテ」だったと思います。
この曲もパパパ同様にアニメタイアップ曲(アニメ自体は私は見てませんが…)で
「自分の周りにある壁の大きさに動けなくなってしまう時もあるかもしれないが、焦らずじっくり自分を信じて進んでいけば、きっといつかはその壁をぶち破っていける」
そういうメッセージを伝えてくれる曲なのですが、きっと多くの人が昨今の情勢下で閉塞感や壁があることを感じていたと思います。推しさん自身も曲入り前の口上で「たくさんの壁があった」と述べてからこの曲に入りました。きっとそれは推しさんの本当の気持ちだったと思います。
そしてまさにイントロのブレイクで一気に音が盛り上がろうとしているところで、ステージからの照明が見たこともないくらい明るさになり、冗談抜きで目の前が真っ白になったかと思ったら推しさんがキックしてその光の中から飛び出してくる演出は、本当に大声を出しそうになりました。
まさしく「壁をぶち破って登場する」かのように見える演出で、「自分たちと同じような気持ちを持っている人が、目の前で壁をぶち破って見せる瞬間」を目の当たりにさせられて、正直マジで惚れそうでした。
自分たちに寄り添ってくれて、同じように思い悩み苦しんでいながらも、まずは自ら壁をぶち壊しして進んでいく姿を見せてくれた今回のワンマンライブ。
まあ正直、本当にボロボロ泣いてしまいましたね…
ちょっと自分も自分の人生を頑張っていこうって思える、素敵な時間だったと思います。
たまに「推しに恥ずかしくない行動を」みたいな話を見ますが、「ああ、こういうことか…」とちょっと納得してしましました。推しのことを尊敬しているなら、その気持ちに恥ずかしくない自分であろうとちょっと思えますね…
と、まぁ、正直ちょっとリアルの事情で弱っている時期でもあったのでだいぶくらくらさせられる時間でしたが、本当に良いものを見ることができたと思います。
また元気に推しさんのイベントに参加できる日が来ることを祈って、今回は終わりたいと思います。