「今夜、ロマンス劇場で」を見ました――虚構を愛するということ

皆さんこんばんは(書いてる時点で17日深夜一時)。ぬこもやしです。

今日は完全に勢いで、とあるオタクに唆されて、映画「今夜、ロマンス劇場で」を見ました。もう

ありえんくらい泣いたので、感想を書きます。

この作品は、2018年2月に公開された日本映画で、綾瀬はるかと坂口健太郎主演のラブストーリーです。

映画監督を夢見る青年の健司は、今は誰も見なくなった古ぼけた映画のお姫様である美雪にひそかに思いを寄せ、毎日のように何度も通いなれた劇場で一人、彼女の登場する映画を見ていました。そんなある日、彼に奇跡が起こり、美雪が映画の世界から飛び出してくることで、二人の奇妙な同居生活が始まります。モノクロの世界しか知らなかった美雪を、健司が案内する中で、徐々に二人の関係が変化していき…

といった具合のあらすじです。
まず最初に

できればこの映画をぜひ一度見てください。

本当に、名作だと思います。
誰が見ても楽しめる作品だとは思いますが特に、一度でも「画面の向こうの虚構」に、大なり小なり心を寄せた経験があるという方。この映画は、そんな人が見ればきっと心に深く刺さる作品だと思います。要するに

自分はオタクだ

と、少しでも思っている方です。正直邦画のラブロマンスなんて、どうせどうせ…と思って敬遠している人にも、マジでお勧めできます。
今の時点で少しでも興味を持っていただけたのであれば、見て後悔しない作品だと思うので、ぜひまずはご自身の目でこの物語の結末を見届けてください。
今ならアマゾンプライムなどですぐに視聴できるので、ぜひどうぞ。




















さて、前置きはこのくらいにしてやっていきましょう。

・見えるようで最後まで見えなかった結末
まず、ラブストーリーと言っている時点で、やはり最後には主人公が何らかの形でエンディングを迎える必要があります。決して、主演の二人が結ばれてそれでおしまい、という結末には限りませんが、何らかの結末を提示してようやくラブロマンスという作品は終わりを迎えることができます。
さて、そうなったときにこの作品の結末は?というと…二人は健司の最期の瞬間まで一緒にいることを選びます。ただ、見ていて本当に最後までどうなるのかがわかりませんでした。
序盤から、健司が働く映画会社の社長令嬢である塔子が健司に思いを寄せている、という話が出てきます。一度体に触れてしまえばそれで消えてしまう美雪と、結ばれれば明るい将来がほぼ約束される塔子。健司はどちらを選ぶのかというのが、この作品の大事な要素の一つでもあるのですが…
実はこの結末に関して、まず何と驚いたことに実は作中に提示された要素を組み合わせると、開始数分で健司と美雪がどうなったかという伏線が提示されているんですね。
最初のナースステーションで「牧野さんのお孫さんは毎日来るけど、倒れても手を貸そうともしない」って言ってるんですよ。また、健司の病室で看護師と話す中で、彼の家族関係に関してはそれ以外一切明示されません。全部伏線なんですねこれ。初見ではそんなの気づけませんよ。
最後、健司の病室に美雪が来た瞬間にすべてがつながって、まじで特大級の大声が出ました。


・虚構を愛するということ
さて、ちょっとだけストーリーに関して書きましたが、私がこの作品に関して心を打たれたのはここです。というか、今回はもうここに全振りします。

まず最初に皆さん、二次元のキャラってどう思いますか?
好きなキャラとか嫌いなキャラとか、それこそ別に二次元じゃなくてもいいです。好きな俳優さんとか芸能人とか、いますか?仮にその誰かと結ばれたら…とか想像したこと、ありますか?わたしはまあ、そういうのが一切なかったとは言わないです。
けど、二次元のキャラはしょせん二次元。虚構です。実際に現実にいる芸能人にしたって、まず普通に生きててその人と結ばれることはありませんよね。ただ、だれもがそんなことは分かったうえで、キャラクターや芸能人のことを好きだと思う感情ってありますよね?たぶん。
いや、あのですね。

いいんですよ。それで。
虚構を愛することで、世界が色づいたっていいんですよ。

この作品には、そういった思いが込められてると思います。

まず、美雪が映画の世界を飛び出した理由が作中で語られます。簡単に言うと、「誰も見なくなった映画の側からこれまで外の世界を見てくれていた健司に最後に会って、見つけてくれてありがとうと言いたかった」というものです。
作品やキャラクターというのは、誰かが見ていなければこの世界に存在しないも同じです。映画やドラマアニメなど、この世には星の数ほどのフィクションが生まれていますが、その多くはやがて誰の記憶からも忘れ去られていきます。つまり、虚構というのは、観測する側があって初めてこの世界に存在できるものなんです。
美雪の側からみると、健司がいたから、色づいた世界に飛び込むことができて、多くのことを知ることができたわけです。

では、健司の側はどうでしょうか。
作中では案外、健司が美雪との生活の中でどんなことを感じたかというのが、直接的な言葉にはされません。しかし、あらすじにも書いた通り、健司は毎日美雪が登場する映画を見ることで活力を得ているシーンからこの作品は始まります。
また、美雪との生活を映画の脚本にすることで、映画監督への道が開かれるかも…というストーリーにもなっています。
最初こそ、美雪のわがままに振り回されて一度彼女を見放そうとした健司も、実のところ、彼女との生活の中でたくさんのエネルギーをもらっていることがわかります。

私個人としては、この二人の関係は本当に「虚構作品とそれを見る我々」の構図に非常に近いというか、まさにそのままだなと感じました。

日々生きることは大変です。つらいこと、苦しいこと、理不尽なこと。多くの苦難が我々の前に立ちふさがります。時には、部屋の隅で膝を抱えたくなる日もあるかもしれません。しかし、そんな時に皆さんはどうしていますか?
好きな音楽を聴いたり、本を読んだり、映画やドラマやアニメを見たり。そんな風に、自分の好きなものに触れることで心を力を回復させて、明日への活力を得たことがきっとあると思います。
この行為は、我々の側からすると、単にフィクションを見て自分で自分の気持ちを回復させているだけのように見えますが、その行為のために棚から引っ張り出されたフィクションもまた、同時に我々の世界に触れている時間が増えているわけです。
我々がフィクションを見なくなったり、あるいは別の何かによりどころを求め始めて、フィクション作品がだれからも求められなくなれば、その作品もいつかは世界から消えてしまいます。

こんな風に、虚構と我々は、実は互いが互いを支えあっている。そんな風に考えることもできるんだなと、この映画を見ていてそう感じました。作中では、登場時点では白黒だった美雪の側からみて「世界が色づくさま」がずっと描かれますが、健司の世界も同様に、鮮やかに色づいていったはずです。だからこそ、彼は最後に美雪を選んだわけですから。

だから、自信をもって、虚構を愛してもいいんだなと、そう思います。

もちろん、現実をないがしろにするわけにはいきません。
事実、最終的に、今後一切直接触れることなく美雪と一緒にいることを選んだ健司の未来は、おそらく少し変わってしまいました。
映画監督としての道は閉ざされ、美雪を選んだそのあとからは塔子が登場することはありません。彼の人生の登場人物としての塔子は、それ以降現れることはなかったわけです。
前述の話とかぶりますが、現代の病室で「助監督だった」と言っていた時点で、この結末は提示されていたわけです。

この健司の選択を、愚かだと考える人がいても当然だと思います。
常識で考えれば、塔子と一緒に映画監督の道に進むのが当たり前というのが、普通の感覚です。しかし、美雪と一緒に歩む人生を選び、一緒に多くの美しいものを見に行った二人の人生が不幸なものだったと、だれが断ずることができるでしょうか。
どんな形で、どんな虚構を人生のそばにおいて歩んでいくかは人それぞれです。
ただ一つ言えるのは、その人にとって悔いのない形を選ぶことができれば、それでいいのだと思います。

だいぶポエミ―な感じになってしまいましたが、大体そんな感じです。

確かに、虚構と添い遂げることを選び、死後虚構の世界が色づくことを選んだ健司のことを不気味だと思う人がいてもいいと思います。事実、私もそこまで虚構に入れ込めるかといわれると何とも言えないですからね…
ただ別に、この作品はそうやって虚構と添い遂げろといっているのではなく、虚構を愛することで、自分自身の現実も色づくことがある。そのくらいのメッセージを受け取ればいいのだと思います。

といった感じで、大体書きたいことは書いたので、このあたりにしたいと思います。

おしまい!解散!